佐々木 愚山(ささき ぐざん 1823年1月11日 - 1896年9月14日)は、江戸時代末期から明治時代初期の儒学者。同じく儒者である源淡斎(別称、中田三平)の子として、仙台藩にて生まれる。祖先を佐々木盛綱であると称するが詳細は不明。身長六尺、容貌魁偉で声が大きいと言われた。幻の儒者、奇人漢学者とも。下野(栃木県)足利学校の都講、安中藩校造士館、七日一藩、勝山藩支領白川などの藩校教授を歴任し、明治維新後は群馬県神道事務局講師、中教正として同県の神職者を指導し、榛名山麓で私塾「白烏堂」をひらく。門人三千人とも言われる。明治29年9月14日死去。74歳。陸奥......
佐々木 愚山(ささき ぐざん 1823年1月11日 - 1896年9月14日)は、江戸時代末期から明治時代初期の儒学者。同じく儒者である源淡斎(別称、中田三平)の子として、仙台藩にて生まれる。祖先を佐々木盛綱であると称するが詳細は不明。身長六尺、容貌魁偉で声が大きいと言われた。幻の儒者、奇人漢学者とも。下野(栃木県)足利学校の都講、安中藩校造士館、七日一藩、勝山藩支領白川などの藩......