伊賀 弘三良(いが こうざぶろう 1928年 – 1998年)は兵庫県出身の編集者、出版事業家。祥伝社元社長。旧制姫路中学校から陸軍予科士官学校、旧制第六高等学校を経て東京大学文学部仏文科卒業。もともと作家志望だったが、渡辺一夫教授により神吉晴夫に紹介され、1953年、大卒一期生として光文社に入社。同期に、のちの祥伝社社長藤岡俊夫がいた。出版局に配属され、1955年、京大の動物学者伊谷純一郎に『高崎山のサル』を書かせてヒットを飛ばす。1959年、カッパ・ノベルス創刊編集長に昇進。以後、カッパ・ブックスの編集長を兼任。「ノベルス」誌および「月刊宝石」誌の編集......
伊賀 弘三良(いが こうざぶろう 1928年 – 1998年)は兵庫県出身の編集者、出版事業家。祥伝社元社長。旧制姫路中学校から陸軍予科士官学校、旧制第六高等学校を経て東京大学文学部仏文科卒業。もともと作家志望だったが、渡辺一夫教授により神吉晴夫に紹介され、1953年、大卒一期生として光文社に入社。同期に、のちの祥伝社社長藤岡俊夫がいた。出版局に配属され、1955年、京大の動物学......