伊藤 盛正(いとう もりまさ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。慶長4年(1599年)、で父・伊藤盛景の死後、家督を継いで美濃国大垣城を領した(3万4000石)。翌慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、西軍に与し、居城の大垣城を本陣にしたいと石田三成より要請があり、一旦は拒絶をしたが、城を明け渡し、美濃国今村城に退去している。本戦では、松尾山城に陣していたが小早川秀秋によって追い出され、後に関ヶ原本戦にも参加した。戦後、改易され没落した。その後、京都で浪人をしている時、徳川家康に見つかり殺されそうになったところを福島正則の懇願により......
伊藤 盛正(いとう もりまさ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。慶長4年(1599年)、で父・伊藤盛景の死後、家督を継いで美濃国大垣城を領した(3万4000石)。翌慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、西軍に与し、居城の大垣城を本陣にしたいと石田三成より要請があり、一旦は拒絶をしたが、城を明け渡し、美濃国今村城に退去している。本戦では、松尾山城に陣していた......