伊東 祐松(いとう すけます)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。日向伊東氏の家臣。天文2年(1533年)、9代当主・伊東祐充の死後に叔父・祐武が反乱を起こしたときは、従兄弟の祐清(義祐)擁立派として働いた(武州の乱)。10代当主・祐吉の死後に義祐が家督を継ぐと、その側近となった。家中では義祐と同等の権勢を振るい、余剰米の横領などで数多くの家臣から恨みを買った。元亀3年(1572年)、木崎原の戦いで伊東氏が大敗したときは、孫の祐信が戦死、同年には飫肥城において伊東祐兵の後見役となっていた子・祐梁も死去した。天正3年(1575年)、島津氏に圧迫された......
伊東 祐松(いとう すけます)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。日向伊東氏の家臣。天文2年(1533年)、9代当主・伊東祐充の死後に叔父・祐武が反乱を起こしたときは、従兄弟の祐清(義祐)擁立派として働いた(武州の乱)。10代当主・祐吉の死後に義祐が家督を継ぐと、その側近となった。家中では義祐と同等の権勢を振るい、余剰米の横領などで数多くの家臣から恨みを買った。元亀3年(......