仏日契嵩(ぶつにちかいすう、1007年 - 1072年)は、中国北宋代の禅僧である。俗姓は李氏、藤州鐔津県(広西チワン族自治区藤県)の出身である。7歳で出家、13歳で得度し、14歳で具足戒を受ける。19歳の時に遊方に出て、神鼎洪諲、洞山暁聡らに参じる。暁聡の法を嗣ぎ、銭塘(浙江省)に行き、霊隠山(武林山)にある永安精舎、仏日山、龍山などに住して、著述に専心する。従来の燈史の整理を行い、欧陽脩らの排仏論者に対抗して三教一致論を展開した。また、『六祖壇経』の刊行にも携わる。『伝法正宗記』『輔教編』が大蔵経に入蔵され、明教大師の大師号を賜った。永安精舎で没する。......
仏日契嵩(ぶつにちかいすう、1007年 - 1072年)は、中国北宋代の禅僧である。俗姓は李氏、藤州鐔津県(広西チワン族自治区藤県)の出身である。7歳で出家、13歳で得度し、14歳で具足戒を受ける。19歳の時に遊方に出て、神鼎洪諲、洞山暁聡らに参じる。暁聡の法を嗣ぎ、銭塘(浙江省)に行き、霊隠山(武林山)にある永安精舎、仏日山、龍山などに住して、著述に専心する。従来の燈史の整理を......