仁宇城(にうじょう)は、徳島県那賀郡那賀町仁宇にあった日本の城。別名は和食城、仁宇山城。天正年間は湯浅対馬守(藤原兼時)の居城であり天正13年(1585年)に蜂須賀家政が阿波国に入るまで仁宇谷地域を押さえていた。蜂須賀氏が入部した直後、湯浅氏を首謀者とする仁宇谷衆は一揆を起こすが鎮圧された。仁宇城は阿波九城のひとつの支城として整備され、一揆を鎮圧した山田宗重を城代とし、5000石を有した。一国一城令により寛永15年(1638年)に廃城となった。福永素久や高田徹は、那賀川右岸の蛭子神社境内にあったと比定するが、本田昇は『日本城郭大系15巻』などで蛭子神社の西......
仁宇城(にうじょう)は、徳島県那賀郡那賀町仁宇にあった日本の城。別名は和食城、仁宇山城。天正年間は湯浅対馬守(藤原兼時)の居城であり天正13年(1585年)に蜂須賀家政が阿波国に入るまで仁宇谷地域を押さえていた。蜂須賀氏が入部した直後、湯浅氏を首謀者とする仁宇谷衆は一揆を起こすが鎮圧された。仁宇城は阿波九城のひとつの支城として整備され、一揆を鎮圧した山田宗重を城代とし、5000石......