仁助法親王(にんじょほうしんのう、建保2年(1214年) - 弘長2年8月11日(1262年9月25日))は、鎌倉時代中期の皇族・天台宗寺門派の僧侶。土御門天皇の皇子。母は源通子。後嵯峨天皇は同母弟にあたる。土御門天皇と源通子の間の子は、承久の乱後に父である土御門天皇が土佐国に配流されたこともあって皇位継承の可能性が失われており、最年長の皇子であった仁助を始めとする男子は園城寺に入って出家している。仁助は円浄を師として、仁治2年(1241年)に灌頂の儀式を行って円満院門跡となっている。ところが、翌仁治3年(1242年)に四条天皇が崩御し、諸事情で出家が遅れ......
仁助法親王(にんじょほうしんのう、建保2年(1214年) - 弘長2年8月11日(1262年9月25日))は、鎌倉時代中期の皇族・天台宗寺門派の僧侶。土御門天皇の皇子。母は源通子。後嵯峨天皇は同母弟にあたる。土御門天皇と源通子の間の子は、承久の乱後に父である土御門天皇が土佐国に配流されたこともあって皇位継承の可能性が失われており、最年長の皇子であった仁助を始めとする男子は園城寺に......