京極 政光(きょうごく まさみつ、宝徳2年(1450年) - 文明5年11月12日(1473年12月1日))は、室町時代後期の武将。京極持清の次男で、勝秀は兄、政経は弟。高清は甥(弟とも)。姉妹に畠山政長室。通称は四郎、官位は治部少輔、大膳大夫。初めは佐々木氏庶流の黒田氏の養子に入ったが、応仁の乱の只中で父と兄がそれぞれ応仁2年(1468年)、文明2年(1470年)に死去したため家督と守護職は甥の孫童子丸が継承、政経と守護代多賀高忠が補佐した。しかし、政光はこれに不満を覚え多賀清直と共に孫童子丸の庶兄・乙童子丸(高清)を擁立して六角高頼と組んで西軍へ寝返っ......
京極 政光(きょうごく まさみつ、宝徳2年(1450年) - 文明5年11月12日(1473年12月1日))は、室町時代後期の武将。京極持清の次男で、勝秀は兄、政経は弟。高清は甥(弟とも)。姉妹に畠山政長室。通称は四郎、官位は治部少輔、大膳大夫。初めは佐々木氏庶流の黒田氏の養子に入ったが、応仁の乱の只中で父と兄がそれぞれ応仁2年(1468年)、文明2年(1470年)に死去したため......