井田 友胤(いだ ともたね、生年不明 - 永禄8年3月9日(1565年4月9日))は、戦国時代の武将。受領名は刑部大輔・美濃守。父は井田胤俊、弟に氏胤、井田志摩守。室は山室常隆娘。子に胤徳、胤信。井田氏は山室氏の客将であり、友胤は飯櫃城主・山室常隆の娘を妻に迎えているが、父胤俊の頃より千葉昌胤の元服に参列するなどし、千葉氏に属していたとされる。また後北条氏の家臣でもある。天文7年(1538年)、小弓公方足利義明と後北条氏とが争った第一次国府台合戦の際に、友胤は千葉昌胤と共に後北条氏方に付き、合戦ののち同年12月20日付けで古河公方足利晴氏より感状をもって賞......
井田 友胤(いだ ともたね、生年不明 - 永禄8年3月9日(1565年4月9日))は、戦国時代の武将。受領名は刑部大輔・美濃守。父は井田胤俊、弟に氏胤、井田志摩守。室は山室常隆娘。子に胤徳、胤信。井田氏は山室氏の客将であり、友胤は飯櫃城主・山室常隆の娘を妻に迎えているが、父胤俊の頃より千葉昌胤の元服に参列するなどし、千葉氏に属していたとされる。また後北条氏の家臣でもある。天文7年......