井上 蘭台(いのうえ らんだい、宝永2年1月1日(1705年1月25日) - 宝暦11年11月27日(1761年12月22日))は江戸時代中期の儒学者、戯作者である。備前岡山藩に仕える。江戸生れ。名を通煕、字は子叔もしくは叔。子字に鍋助、縫殿、さらに嘉膳とした。通称も嘉膳。最初、璠菴、玩菴と号し、のちに蘭台とするが、本多忠統侯がこの号を用いたことに配慮して図南と号するようになる。忠統侯が歿すると蘭台の号に復した。また戯作のときは玩世教主と称した。
井上 蘭台(いのうえ らんだい、宝永2年1月1日(1705年1月25日) - 宝暦11年11月27日(1761年12月22日))は江戸時代中期の儒学者、戯作者である。備前岡山藩に仕える。江戸生れ。名を通煕、字は子叔もしくは叔。子字に鍋助、縫殿、さらに嘉膳とした。通称も嘉膳。最初、璠菴、玩菴と号し、のちに蘭台とするが、本多忠統侯がこの号を用いたことに配慮して図南と号するようになる。......