九条 光長(くじょう みつなが、天養元年(1144年) - 建久6年6月2日(1195年7月10日))は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿。藤原北家勧修寺流・藤原光房の子。母は藤原俊忠の娘。正三位、参議。九条三位と号す。子に海住山長房・二条定高らがある。
九条 光長(くじょう みつなが、天養元年(1144年) - 建久6年6月2日(1195年7月10日))は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿。藤原北家勧修寺流・藤原光房の子。母は藤原俊忠の娘。正三位、参議。九条三位と号す。子に海住山長房・二条定高らがある。