乙支文徳(いつし ぶんとく、6世紀後半ころ - 7世紀初頭ころ)は、高句麗の将軍であり大臣。『三国史記』巻44・乙支文徳伝においては世系は不明とあるが、北朝鮮の平安道地方には「乙支文徳はソクダ山の者で、山に入り道を極め、悟りを開いた」という伝説が残っており、このことから北朝鮮の首都平壌近くの出身という推測もある。隋の第二次高句麗遠征(612年)(隋の高句麗遠征)において、隋軍に偽りの降伏を申し入れ撤退を開始した隋軍に追い討ちをかけ大勝利を収めた。その功績は高く評価されてはいるが、戦後の文徳の動向は『三国史記』には記事が残っておらず、死の状況についても詳細は......
乙支文徳(いつし ぶんとく、6世紀後半ころ - 7世紀初頭ころ)は、高句麗の将軍であり大臣。『三国史記』巻44・乙支文徳伝においては世系は不明とあるが、北朝鮮の平安道地方には「乙支文徳はソクダ山の者で、山に入り道を極め、悟りを開いた」という伝説が残っており、このことから北朝鮮の首都平壌近くの出身という推測もある。隋の第二次高句麗遠征(612年)(隋の高句麗遠征)において、隋軍に偽......