久我通世(こが みちよ、天正11年(1583年) - 元和元年(1615年))は、安土桃山時代の公卿。父は久我敦通。弟に久我通前がいる。子に梅渓季通がいる。後陽成天皇に仕え、官位は従四位下左近衛中将まで昇った。しかし慶長4年(1599年)、敦通・通世父子と宮中の女官との醜聞のことで天皇の勅勘を被り、父とともに京都を追放された。その後の消息は不明だが、久我家そのものは弟の通前の子孫をもって連錦で続いていく。
久我通世(こが みちよ、天正11年(1583年) - 元和元年(1615年))は、安土桃山時代の公卿。父は久我敦通。弟に久我通前がいる。子に梅渓季通がいる。後陽成天皇に仕え、官位は従四位下左近衛中将まで昇った。しかし慶長4年(1599年)、敦通・通世父子と宮中の女官との醜聞のことで天皇の勅勘を被り、父とともに京都を追放された。その後の消息は不明だが、久我家そのものは弟の通前の子孫......