久我 信通(こが のぶみち、延享元年9月6日(1744年10月11日) - 寛政7年9月13日(1795年10月25日))は、江戸時代後期の公卿。主に桃園天皇(116代)・後桜町天皇(117代)・後桃園天皇(118代)・光格天皇(119代)の四帝にわたって仕え、官位は正二位内大臣まで昇る。父は広幡長忠。母は不詳。養父は久我敏通。室は一条道香の娘。久我通名は曽祖父にあたる。養子に久我通明、娘に綾姫(熊本新田藩主細川利致室)、西洞院信庸室らがいる。宝暦6年(1756年)に久我家の養子に入り、同年叙爵した。以降清華家当主として早いスピードで累進し、侍従・左近衛権......
久我 信通(こが のぶみち、延享元年9月6日(1744年10月11日) - 寛政7年9月13日(1795年10月25日))は、江戸時代後期の公卿。主に桃園天皇(116代)・後桜町天皇(117代)・後桃園天皇(118代)・光格天皇(119代)の四帝にわたって仕え、官位は正二位内大臣まで昇る。父は広幡長忠。母は不詳。養父は久我敏通。室は一条道香の娘。久我通名は曽祖父にあたる。養子に久......