丹羽 氏識(にわ うじさと、明応6年(1497年) - 永禄8年6月19日(1565年7月16日))は、戦国時代の武将。丹羽氏清の子。尾張国岩崎城2代目城主。右近大夫、若狭守。子は丹羽氏勝、上田近正、丹羽氏常(寛政重修諸家譜には丹羽氏国とある)、丹羽氏種、丹羽氏俊。同族の尾張国藤島城主・丹羽氏秀と対立し、たびたび戦う。氏秀は織田信長に援軍を求め、天文20年(1551年)に尾張国愛知郡横山で氏清・氏識・氏勝と対決した。氏識はこれを破り、藤島城も領することとなった。その後、岩崎が尾張・三河国双方の要害の地であったため、織田信長・徳川家康の双方から臣下としての誘......
丹羽 氏識(にわ うじさと、明応6年(1497年) - 永禄8年6月19日(1565年7月16日))は、戦国時代の武将。丹羽氏清の子。尾張国岩崎城2代目城主。右近大夫、若狭守。子は丹羽氏勝、上田近正、丹羽氏常(寛政重修諸家譜には丹羽氏国とある)、丹羽氏種、丹羽氏俊。同族の尾張国藤島城主・丹羽氏秀と対立し、たびたび戦う。氏秀は織田信長に援軍を求め、天文20年(1551年)に尾張国愛......