中院通純(なかのいん みちずみ、慶長17年8月28日(1612年9月23日) - 承応2年2月8日(1653年3月7日))は、江戸時代前期から中期の公卿。父は内大臣中院通村。母は新発田藩主溝口秀勝の娘。室は権大納言高倉永慶の娘。子に内大臣中院通茂、権中納言野宮定縁、甘姫(鍋島光茂室)、猶子に権大納言愛宕通福がいる。慶長18年(1613年)に叙爵。以降累進して侍従・左近衛少将・左近衛中将をへて、寛永8年(1631年)に参議となり、公卿に列した。その後、踏歌節会外弁・権中納言を経て、正保4年(1647年)に権大納言に昇進。
中院通純(なかのいん みちずみ、慶長17年8月28日(1612年9月23日) - 承応2年2月8日(1653年3月7日))は、江戸時代前期から中期の公卿。父は内大臣中院通村。母は新発田藩主溝口秀勝の娘。室は権大納言高倉永慶の娘。子に内大臣中院通茂、権中納言野宮定縁、甘姫(鍋島光茂室)、猶子に権大納言愛宕通福がいる。慶長18年(1613年)に叙爵。以降累進して侍従・左近衛少将・左近......