中根 東里(なかね とうり、元禄7年(1694年) - 明和2年2月7日 (旧暦)|2月7日(1765年3月27日))は、江戸時代中期の儒学者。名は若思、字は敬夫、通称は貞右衛門。伊豆国下田村(現静岡県下田市)生まれ。父は三河国出身の農民で医師を兼ねていた重勝(しげかつ)。13歳のとき父が死去し、母の勧めで出家して地元の禅宗の僧となった。のちに山城国宇治(現京都府宇治市)の黄檗山萬福寺に赴いて中国語を学び、次いで江戸駒込の浄土宗蓮光寺に移り読書に励んだ。19歳で荻生徂徠に入門、のち還俗した。徂徠学に疑いを抱くようになり、朱子学に傾斜して、享保元年(1716......
中根 東里(なかね とうり、元禄7年(1694年) - 明和2年2月7日 (旧暦)|2月7日(1765年3月27日))は、江戸時代中期の儒学者。名は若思、字は敬夫、通称は貞右衛門。伊豆国下田村(現静岡県下田市)生まれ。父は三河国出身の農民で医師を兼ねていた重勝(しげかつ)。13歳のとき父が死去し、母の勧めで出家して地元の禅宗の僧となった。のちに山城国宇治(現京都府宇治市)の黄檗山......