中御門 経継(なかみかど つねつぐ、正嘉2年(1258年)- 没年不詳)は、鎌倉時代後期の公卿。父は正二位中納言吉田経俊、母は宮内卿平兼光の娘。同母兄に坊城俊定がいる。藤原北家勧修寺流の中御門家の祖。子に経宣、経季、経兼らがいる。大覚寺統の後宇多天皇側近であり、正安4年(1302年)院政を行っていた後宇多上皇の推薦で当時の要件とされていた蔵人・弁官を経ずに参議に昇進する。嘉元3年(1305年)には権中納言となり、評定衆として活動する。持明院統の伏見上皇の院政中は逼塞していたが、後醍醐天皇の践祚に伴って、後宇多上皇が再度院政を始めると、元応元年(1319年)......
中御門 経継(なかみかど つねつぐ、正嘉2年(1258年)- 没年不詳)は、鎌倉時代後期の公卿。父は正二位中納言吉田経俊、母は宮内卿平兼光の娘。同母兄に坊城俊定がいる。藤原北家勧修寺流の中御門家の祖。子に経宣、経季、経兼らがいる。大覚寺統の後宇多天皇側近であり、正安4年(1302年)院政を行っていた後宇多上皇の推薦で当時の要件とされていた蔵人・弁官を経ずに参議に昇進する。嘉元3年......