中川 久貞(なかがわ ひささだ)は、豊後岡藩の第8代藩主。享保9年(1724年)1月19日、三河吉田藩主・松平信祝の次男として生まれる。寛保3年(1743年)に第7代藩主・中川久慶が死去したため、その養子として12月21日に家督を継いだ。同年12月28日に従五位下、修理大夫に叙任する。養子になった際、名を信安から久貞と改めた。延享元年(1744年)から無名の浪人である中沢三郎左衛門を登用し、不正の取り締まりや農村振興、人事の一新などを行なって、藩政改革に一応の成功を収めた。しかし宝暦3年(1753年)に天候不順による凶作で原尻奥之丞によって強訴を起こされ、......
中川 久貞(なかがわ ひささだ)は、豊後岡藩の第8代藩主。享保9年(1724年)1月19日、三河吉田藩主・松平信祝の次男として生まれる。寛保3年(1743年)に第7代藩主・中川久慶が死去したため、その養子として12月21日に家督を継いだ。同年12月28日に従五位下、修理大夫に叙任する。養子になった際、名を信安から久貞と改めた。延享元年(1744年)から無名の浪人である中沢三郎左衛......