中巌円月(ちゅうがんえんげつ、正安2年1月6日(1300年1月28日) - 文中4年/応安8年1月8日(1375年2月9日))は、南北朝時代の臨済宗の僧。相模国鎌倉の出身で、俗姓は土屋氏。中巌は道号で、諡号は仏種慧済禅師。年少期に鎌倉寿福寺(臨済宗建長寺派)に入った後、醍醐寺に入って密教を学び、また曹洞宗の東明慧日に師事した。1325年(正中2年)中国の元に入り、1332年(元弘2年)日本に戻った。その後、万寿寺・建仁寺・建長寺などの住持を歴任し、臨済宗における一派を形成した。神武天皇については、「呉の太伯の子孫」であるとして、「天皇中国人説」を唱えた(山......
中巌円月(ちゅうがんえんげつ、正安2年1月6日(1300年1月28日) - 文中4年/応安8年1月8日(1375年2月9日))は、南北朝時代の臨済宗の僧。相模国鎌倉の出身で、俗姓は土屋氏。中巌は道号で、諡号は仏種慧済禅師。年少期に鎌倉寿福寺(臨済宗建長寺派)に入った後、醍醐寺に入って密教を学び、また曹洞宗の東明慧日に師事した。1325年(正中2年)中国の元に入り、1332年(元弘......