下河辺 長流(しもこうべ ちょうりゅう/しもこうべ ながる、寛永4年(1627年)? - 貞享3年6月3日(1686年7月22日))は、江戸時代前期の歌人・和学者。姓は片桐氏の家臣小崎氏であるが、母方の姓である下河辺氏を名乗る。名は共平。通称は彦六。別号は長龍、吟叟居。大和国立田の生まれとも、宇多の生まれともいう。木下長嘯子に私淑し、俳諧連歌の祖西山宗因に連歌を学ぶ。三条西家に青侍として仕え、『万葉集』の書写・研究に努めた。その後、徳川光圀から『万葉集』の注釈を依頼されたが、病気のため没し、その後は交流のあった契沖に引き継がれた。1670年(寛文10年)に......
下河辺 長流(しもこうべ ちょうりゅう/しもこうべ ながる、寛永4年(1627年)? - 貞享3年6月3日(1686年7月22日))は、江戸時代前期の歌人・和学者。姓は片桐氏の家臣小崎氏であるが、母方の姓である下河辺氏を名乗る。名は共平。通称は彦六。別号は長龍、吟叟居。大和国立田の生まれとも、宇多の生まれともいう。木下長嘯子に私淑し、俳諧連歌の祖西山宗因に連歌を学ぶ。三条西家に青......