上迫 忠夫(うえさこ ただお、1921年10月14日 - 1986年10月20日)は、島根県浜田市出身の元体操競技選手。日本体育大学卒業後開成学園教諭。30歳で出場した1952年ヘルシンキオリンピック男子徒手で銀メダル、同跳馬で銅メダルを獲得。1964年東京オリンピックに際しては体操競技の強化委員を務める。オリンピック前年のプレ・オリンピックに向けた強化合宿で、インタビューに答えて「ウルトラC」という言葉を発したとされ、これがデイリースポーツで報じられたことがこの言葉の初出とされている。
上迫 忠夫(うえさこ ただお、1921年10月14日 - 1986年10月20日)は、島根県浜田市出身の元体操競技選手。日本体育大学卒業後開成学園教諭。30歳で出場した1952年ヘルシンキオリンピック男子徒手で銀メダル、同跳馬で銅メダルを獲得。1964年東京オリンピックに際しては体操競技の強化委員を務める。オリンピック前年のプレ・オリンピックに向けた強化合宿で、インタビューに答え......