上田 政盛(うえだ まさもり)は、戦国時代の武将。扇谷上杉家の家臣。相模国守護代・上田正忠(政忠)の後継者と推定されている。出自は武蔵七党の西党の流れを汲む上田氏の嫡流。長享元年(1487年)からの長享の乱で活躍し、対立する山内上杉家領であった神奈川湊を支配下に置くが、永正2年(1505年)に主家が山内上杉家に降伏したためにこれを奪われる。これを恨んだ政盛は永正7年(1510年)6月、当時相模西部を制圧していた伊勢宗瑞の調略に応じて相模国境に近い武蔵国権現山城(現在の神奈川県横浜市神奈川区)で挙兵した。これに対して扇谷上杉家の上杉朝良・山内上杉家の上杉憲房......
上田 政盛(うえだ まさもり)は、戦国時代の武将。扇谷上杉家の家臣。相模国守護代・上田正忠(政忠)の後継者と推定されている。出自は武蔵七党の西党の流れを汲む上田氏の嫡流。長享元年(1487年)からの長享の乱で活躍し、対立する山内上杉家領であった神奈川湊を支配下に置くが、永正2年(1505年)に主家が山内上杉家に降伏したためにこれを奪われる。これを恨んだ政盛は永正7年(1510年)......