上松 義豊(あげまつ/うえまつ よしとよ、生没年不詳)は、戦国時代の武将。父は信濃国木曽郡の国衆・木曾義康。兄に義昌、姉妹に岩姫。通称は蔵人。藤原姓木曾氏庶流上松氏の祖とされる。『信長公記』によれば、天正10年(1582年)2月、織田信長の甲州征伐において、兄義昌が武田勝頼を裏切り信長に与した際、義豊は人質として織田氏の家臣・菅屋長頼の元へ送られた。義豊はその後、小笠原内蔵助を名乗る。『木曽旧記録』『木曽考』によれば、義昌の跡を継いだ甥の義利とは折り合いが悪く関係は険悪であったとされ、義昌が信長より拝領した「鈴虫」のくつわを義豊が掠め取ったとして、慶長年間......
上松 義豊(あげまつ/うえまつ よしとよ、生没年不詳)は、戦国時代の武将。父は信濃国木曽郡の国衆・木曾義康。兄に義昌、姉妹に岩姫。通称は蔵人。藤原姓木曾氏庶流上松氏の祖とされる。『信長公記』によれば、天正10年(1582年)2月、織田信長の甲州征伐において、兄義昌が武田勝頼を裏切り信長に与した際、義豊は人質として織田氏の家臣・菅屋長頼の元へ送られた。義豊はその後、小笠原内蔵助を名......