上杉 朝房(うえすぎ ともふさ、建武2年(1335年) - 元中8年/明徳2年(1391年)?)は、南北朝時代の武将、守護大名。関東管領、上総・信濃守護。父は上杉憲藤(犬懸上杉家)。弟に朝宗。妻は上杉憲顕(山内上杉家)の娘。官位は左馬助、中務大少輔、弾正少弼。幼名は幸松丸。通称は上杉三郎。延元3年/暦応元年(1338年)、父憲藤が摂津で戦死した時、幼少だったために弟の朝宗と共に家臣の石川覚道に養育されたまた、二橋上杉家(後の扇谷上杉家)の上杉朝定も後見しており、朝房兄弟が朝定の養子になっていた可能性もある。正平4年/貞和5年(1349年)に但馬守護職に任じ......
上杉 朝房(うえすぎ ともふさ、建武2年(1335年) - 元中8年/明徳2年(1391年)?)は、南北朝時代の武将、守護大名。関東管領、上総・信濃守護。父は上杉憲藤(犬懸上杉家)。弟に朝宗。妻は上杉憲顕(山内上杉家)の娘。官位は左馬助、中務大少輔、弾正少弼。幼名は幸松丸。通称は上杉三郎。延元3年/暦応元年(1338年)、父憲藤が摂津で戦死した時、幼少だったために弟の朝宗と共に家......