三好長虎(みよし ながとら、生没年不詳)は戦国時代の武将。父は三好長逸。名は弓介、久介、久助、生長。父と共に三好長慶に仕える。天文19年(1550年)に三好長慶と反目する将軍足利義輝、細川晴元が中尾城に立て籠もり中尾城の戦いが勃発したが、その中の7月14日に行われた東山の戦いの際、長虎の与力1人が幕府軍の鉄砲に当たり戦死した。公家の山科言継はこれを聞いて自らの日記である『言継卿記』にそのことを書いた。この記録が日本初の鉄砲使用例とされている。天文20年(1551年)2月27日に師子谷で六角氏と、3月16日には二万の軍を率いて西賀茂を放火している。永禄4年(......
三好長虎(みよし ながとら、生没年不詳)は戦国時代の武将。父は三好長逸。名は弓介、久介、久助、生長。父と共に三好長慶に仕える。天文19年(1550年)に三好長慶と反目する将軍足利義輝、細川晴元が中尾城に立て籠もり中尾城の戦いが勃発したが、その中の7月14日に行われた東山の戦いの際、長虎の与力1人が幕府軍の鉄砲に当たり戦死した。公家の山科言継はこれを聞いて自らの日記である『言継卿記......