三国 大学(みくに だいがく、文化7年10月1日(1810年10月28日) - 明治29年(1896年)5月31日)は、幕末の商人、儒学者。豪商三国鶴叟の三男。諱は直準。字は士繩。別称・与吉郎。鷹巣、碌々山人と号、出家後は幽眠と称した。越前国坂井郡三国の生まれ。当初は彦根藩士中村漁村に徂徠学を学んだ。同門で机を並べていたのが、当時は彦根藩主の息子ながら先の定まらぬ捨扶持の部屋住みの身分であり、しかしのちに幕府大老として安政の大獄を主導する井伊直弼であった。天保3年(1832年)上洛して折衷学派を学んで梁川星巌や森田節斎らと交流する。天保7年(1836年)に......
三国 大学(みくに だいがく、文化7年10月1日(1810年10月28日) - 明治29年(1896年)5月31日)は、幕末の商人、儒学者。豪商三国鶴叟の三男。諱は直準。字は士繩。別称・与吉郎。鷹巣、碌々山人と号、出家後は幽眠と称した。越前国坂井郡三国の生まれ。当初は彦根藩士中村漁村に徂徠学を学んだ。同門で机を並べていたのが、当時は彦根藩主の息子ながら先の定まらぬ捨扶持の部屋住み......