三卿(さんぎょう)は、江戸時代に次期皇位継承者(儲君・東宮)の近くに仕え、その教育にあたった公卿のことである。天和2年(1682年)、霊元天皇は小倉事件という騒動を起こした末に、五宮(後の東山天皇)を儲君に擁立し、翌年中世以来途絶えていた立太子の儀式を復活させて東宮とした。霊元天皇は五宮を儲君に定めると、儲君の御所に交替で日参してこれを補佐する公家を任命した。このうち、外戚の松木家関係者を除いた公卿3名(正親町公通・梅園季保・河鰭実陳)は特に天皇や外戚の指示の下に儲君のために奉公してその行跡を諌止するとともに御所内の人事を監督し、また天皇および外戚と儲君の......
三卿(さんぎょう)は、江戸時代に次期皇位継承者(儲君・東宮)の近くに仕え、その教育にあたった公卿のことである。天和2年(1682年)、霊元天皇は小倉事件という騒動を起こした末に、五宮(後の東山天皇)を儲君に擁立し、翌年中世以来途絶えていた立太子の儀式を復活させて東宮とした。霊元天皇は五宮を儲君に定めると、儲君の御所に交替で日参してこれを補佐する公家を任命した。このうち、外戚の松木......