丁 日昌(てい じつしょう、''Ding Richang''、1823年 - 1882年)は、清末の軍人・官僚。字は禹生または雨生、号は持静。洋務運動の中心人物の1人。広東省豊順出身。20歳で秀才となり、郷試には合格しなかったが、恵潮嘉道の李璋煜が記述文章を見て幕僚に招聘した。咸豊4年(1854年)、太平天国軍が潮州を攻撃したが計略で撃退に成功した。咸豊7年(1857年)に軍功で瓊州府学訓導に任命され、次いで江西省盧陵の知県になるが、太平天国軍の攻撃を受けて陥落し、免職となった。咸豊11年(1861年)から湘軍を率いる曽国藩の幕僚となって水軍の準備に協力し......
丁 日昌(てい じつしょう、''Ding Richang''、1823年 - 1882年)は、清末の軍人・官僚。字は禹生または雨生、号は持静。洋務運動の中心人物の1人。広東省豊順出身。20歳で秀才となり、郷試には合格しなかったが、恵潮嘉道の李璋煜が記述文章を見て幕僚に招聘した。咸豊4年(1854年)、太平天国軍が潮州を攻撃したが計略で撃退に成功した。咸豊7年(1857年)に軍功で......