一条 秀子(いちじょう ひでこ、文政8年(1825年)10月 - 嘉永3年6月6日(1850年7月14日))は、後の江戸幕府第13代将軍・徳川家定がまだ家祥と名乗っていた将軍世子時代に迎えた二人目の御簾中(正室)。関白一条忠良の十四女。初名は寿明姫。院号は澄心院(ちょうしんいん)。
一条 秀子(いちじょう ひでこ、文政8年(1825年)10月 - 嘉永3年6月6日(1850年7月14日))は、後の江戸幕府第13代将軍・徳川家定がまだ家祥と名乗っていた将軍世子時代に迎えた二人目の御簾中(正室)。関白一条忠良の十四女。初名は寿明姫。院号は澄心院(ちょうしんいん)。