一条 冬経 (いちじょう ふゆつね、慶安5年4月13日(1652年5月20日) - 宝永2年9月10日(1705年10月27日))は、江戸時代中期の公卿。霊元天皇の第一の側近であり、近衛基熙と権勢を争った。初名は内房(うちふさ)、晩年には兼輝(かねてる)と称する。官位は従一位関白及び摂政。円成寺と号した。父は、一条教輔。正室は紀州藩主徳川光貞(権大納言)の娘。他に津山藩主森長継の娘。参議山科言行の娘。
一条 冬経 (いちじょう ふゆつね、慶安5年4月13日(1652年5月20日) - 宝永2年9月10日(1705年10月27日))は、江戸時代中期の公卿。霊元天皇の第一の側近であり、近衛基熙と権勢を争った。初名は内房(うちふさ)、晩年には兼輝(かねてる)と称する。官位は従一位関白及び摂政。円成寺と号した。父は、一条教輔。正室は紀州藩主徳川光貞(権大納言)の娘。他に津山藩主森長継の......