画像引用元: upload.wikimedia.orgヴィルヘルミーネ・アーネスティーネ・ア・ダンマーク
ヴィルヘルミーネ・アーネスティーネ・ア・ダンマーク(デンマーク語|丁:Vilhelmine Ernestine af Danmark, 1650年6月20日 - 1706年4月23日)は、デンマーク・ノルウェー王フレデリク3世 (デンマーク王)|フレゼリク3世とその妃でカレンベルク侯領|カレンベルク侯ゲオルク (ブラウンシュヴァイク=カレンベルク公)|ゲオルクの娘であるゾフィー・アマーリエ・フォン・ブラウンシュヴァイク=カレンベルク|ゾフィー・アマーリエの間の3女で、プファルツ選帝侯領|プファルツ選帝侯カール2世 (プファルツ選帝侯)|カール2世の妃。母方の叔父のハノーファー王国|ハノーファー選帝侯エルンスト・アウグスト (ハノーファー選帝侯)|エルンスト・アウグストの妻ゾフィー・フォン・デア・プファルツ|ゾフィーの執り成しにより、ヴィルヘルミーネはゾフィーの甥にあたるプファルツ選帝侯の世継ぎ公子カールと結婚することになった。2人の結婚式は当時の王族としては珍しく代理結婚式ではなく、花婿のカールが出席して1671年9月20日に挙行された。ヴィルヘルミーネは大勢のデンマーク人の取り巻きを連れてハイデルベルク宮廷に入った。彼女は莫大な花嫁持参金を持っていたうえ、義父の選帝侯カール1世ルートヴィヒ (プファルツ選帝侯)|カール1世からゲルメルスハイムとオッペンハイム (ドイツ)|オッペンハイムの城と村を化粧料として与えられた。しかし、夫婦生活は非常に悲惨だった。カール2世は叔母から無理やり押し付けられた妻を嫌い、ヴィルヘルミーネの控え目で「相手にする気になれない」振る舞いのせいで、夫婦の距離は広がる一方だった。カールは1677年には本気で彼女と離婚しようとしたが、実現しなかった。ヴィルヘルミーネは子供を産まないまま1680年に選帝侯妃となり、1685年に夫と死別した。未亡人となったヴィルヘルミーネは長姉アンナ・ソフィー・ア・ダンマーク|アンナの住むザクセンのリヒテンベルク城に身を寄せ、余生を送った。Category:プファルツ選帝侯妃Category:デンマーク王女Category:オルデンブルク家デンマーク系Category:1650年生Category:1706年没
