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ヴァシリコ・ユーリエヴィチ

推定知名度0.06%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

ヴァシリコ・ユーリエヴィチ(Василько Юрьевич、? - 1161年以降)はスーズダリ公ユーリー・ドルゴルーキーの子である。スーズダリ公:1149年 - 1151年、ポロシエ公:1155年 - 1161年。父のユーリーが1149年にキエフ大公として承認されてから、1155年にスーズダリ公に戻るまでの間、ユーリーのナメストニクとしてスーズダリの統治を任されていた。1157年の父の死以降、1161年まで、ヴァシリコはポロシエ(キエフ南方の軍事的入植地帯)を保持していた。それはキエフ大公位を狙うイジャスラフとユーリー一族の闘争の最終局面において、ヴァシリコが黒頭巾族(ポロシエの遊牧民の総称)と共に闘争に参加していたことによる。その後、兄弟のアンドレイ・ボゴリュブスキー(ru)によってビザンツ帝国へ送られ、ドナウ川流域にいくらかの領土を得た。ヴァシリコの死亡年、また家族に関しては不明である。

過去の推移