画像引用元: upload.wikimedia.orgロマン・ウラジミロヴィチ
推定知名度0.06%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女
ロマン・ウラジミロヴィチ(Роман Володимирович、? - 1119年1月6日)はキエフ大公ウラジーミル・モノマフの年長の子である。ヴォルィーニ公:1117年 - 1119年。1117年、父のモノマフと、スヴャトポルクの子でヴォルィーニ公の座にあったヤロスラフとの間で紛争が発生した。その原因は、モノマフが息子のムスチスラフをノヴゴロドからキエフ近郊のベルゴロドへ転置したことで、ヤロスラフが自身のキエフ大公継承権に危機感を覚えたためと考えられる。1118年、モノマフはガーリチ・ロスチスラフ家(ru)と連合し、ヤロスラフをウラジーミル・ヴォリンスキー(ヴォルィーニ公国の首都)から追放し、ロマンをヴォルィーニ公に据えた。しかしロマンはその翌年に死去し、ロマンの兄弟のアンドレイが、モノマフのナメストニク(代官)としてヴォルィーニ公に据えられた。ロマンは1114年9月11日にペレムィシュリ公ヴォロダリの娘と結婚したが、その子孫に関する史料はない。
過去の推移
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