ロベール3世・ダルトワの画像画像引用元: upload.wikimedia.org

ロベール3世・ダルトワ

推定知名度0.52%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

ロベール3世・ダルトワ(Robert III d'Artois, 1287年 - 1342年)は、中世フランス王国|フランスの貴族。父はアルトワ伯()ロベール2世 (アルトワ伯)|ロベール2世の子であるフィリップ・ダルトワ (1269-1298)|フィリップ・ダルトワ。国王フィリップ6世 (フランス王)|フィリップ6世の義弟だったが、アルトワ伯の継承争いに関して対立し、謀反人として追われイングランドに亡命した。エドワード3世 (イングランド王)|エドワード3世にフランス王を主張することを勧めて百年戦争の原因の一つとなった。ロベール2世には娘マオ (アルトワ女伯)|マオー、息子フィリップという嫡子がいたが、1298年にフィリップは亡くなっており、他に男子は生存していなかった。1302年にロベール2世が金拍車の戦いで戦死したとき、アルトワ地方の慣習により、フィリップの長子ロベール3世(当時15歳)ではなく、ロベールの伯母にあたるマオー(マティルドの愛称、ブルゴーニュ伯妃)がアルトワ伯を継承した。ヨーロッパの多くの地方においては男系優先であるため、ロベールは1309年と1318年に継承権を主張して訴訟を起こしたが、いずれも敗訴した。1318年に王族シャルル (ヴァロワ伯)|ヴァロワ伯シャルルの娘ジャンヌと結婚したが、1328年に妻の異母兄にあたるヴァロワ伯フィリップがフランス王フィリップ6世として即位すると、ロベール3世はボーモン・ル・ロジェ伯を与えられ、側近として優遇された。しかし、1329年にマオーが亡くなると再びアルトワ伯位を主張し、訴訟を起こした。「ロベール3世を後継者とする」というロベール2世の遺言状なるものを提出したが、これが偽造であることが露見し、さらにマオーの跡を継いだジャンヌ2世 (ブルゴーニュ女伯)|ジャンヌ(フィリップ5世 (フランス王)|フィリップ5世王妃)が1330年に亡くなっており、これもロベール3世による毒殺ではないかと疑われ、謀反人として逮捕状が出された。ロベール3世は逃亡し、ブラバント公等の各地の親族を頼り庇護を求めたが、いずれもフィリップ6世の追及により長居はできず、1336年にイングランドに渡りエドワード3世の庇護を求めた。フィリップ6世はロベール3世の所領を没収し、その家族を逮捕、投獄して、イングランドにロベール3世の引渡しを要求した。しかし、フィリップ6世によるスコットランド王

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