ロストフ公(князь ростовский)はロストフ公国の君主の称号である(「公」はクニャージからの訳出による)。君主号・公国の名は、その首都だったロストフによる。ロストフ公国は1207年にウラジーミル大公国の分領公国として成立するが、ロストフの街はそれ以前には、北東ルーシ(いわゆるウラジーミル大公国領。ウラジーミル大公国という名称は厳密には13世紀半ば以降の政権に対して用いられる)の首都だった。また、1320年以降はロストフを分割して、2つの公家による共同統治が行われた。本頁の一覧はこれらの公も含む。
ロストフ公(князь ростовский)はロストフ公国の君主の称号である(「公」はクニャージからの訳出による)。君主号・公国の名は、その首都だったロストフによる。ロストフ公国は1207年にウラジーミル大公国の分領公国として成立するが、ロストフの街はそれ以前には、北東ルーシ(いわゆるウラジーミル大公国領。ウラジーミル大公国という名称は厳密には13世紀半ば以降の政権に対して用い......