ルドルフ1世の画像画像引用元: pbs.twimg.com

ルドルフ1世

推定知名度1.4%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

ルドルフ1世(Rudolf I, 1281年 - 1307年6月)は、ボヘミア王国|ボヘミア王(在位:1306年 - 1307年)、オーストリア公国|オーストリア公(ルドルフ3世、在位:1298年 - 1307年)。ハプスブルク家のドイツ王アルブレヒト1世 (神聖ローマ皇帝)|アルブレヒト1世と王妃エリーザベト・フォン・ケルンテンの息子。弟にドイツ王フリードリヒ3世 (ドイツ王)|フリードリヒ3世(美王)、オーストリア公レオポルト1世 (オーストリア公)|レオポルト1世、アルブレヒト2世 (オーストリア公)|アルブレヒト2世(賢公)、オットー (オーストリア公)|オットー(陽気公)がいる。1300年にフランス王国|フランス王フィリップ4世 (フランス王)|フィリップ4世の異母妹ブランシュ・ド・フランス (オーストリア公妃)|ブランシュと結婚したが、夭逝した一女をもうけたのみで、1305年に死別した。1306年、ボヘミア、ハンガリー王国|ハンガリー、ポーランド王国|ポーランドの王を兼ねたヴァーツラフ3世(ルドルフの従弟に当たる)が後継者なしに死去すると、ボヘミアではヴァーツラフ3世の妹アンナ・プシェミスロヴナ|アンナの夫でルドルフの母方の叔父に当たるケルンテン公国|ケルンテン公ハインリヒ6世 (ケルンテン公)|ハインリヒ6世(インジフ)が国王に選ばれた。これに対してアルブレヒト1世は、ヴァーツラフ3世の父ヴァーツラフ2世の未亡人リクサ・エルジュビェタ(エリシュカ、プシェミスウ2世の娘)とルドルフを結婚させ、プラハを占領してボヘミア王位につけた。ボヘミア諸侯にはルドルフの即位を認めず、ケルンテン公を支持し続ける者がいたため、ルドルフはホラジュジョヴィツェ(Horažďovice)要塞に追いつめて包囲した。しかしこの攻城戦の最中、1307年にルドルフは赤痢で病死した。翌1308年には父アルブレヒト1世も同族のヨーハン・パリツィーダ|ヨハン・パリツィーダ(叔父ルドルフ2世 (オーストリア公)|ルドルフ2世とヴァーツラフ3世の伯母アネシュカの子)に暗殺された。ケルンテン公はいったんはボヘミア王位を回復したが、アルブレヒト1世の次のドイツ王に選ばれたハインリヒ7世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ7世が息子ヨハン・フォン・ルクセンブルク|ヨハンを王位に就け、ケルンテン公はボヘミアを追われた。

過去の推移