リシルド・ド・プロヴァンスの画像画像引用元: upload.wikimedia.org

リシルド・ド・プロヴァンス

推定知名度0.29%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

リシルド・ダルデンヌ(Richilde d'Ardennes)またはリシルド・ド・プロヴァンス(Richilde de Provence、845年頃 - 910年)は、西フランク王国|西フランク王シャルル2世 (西フランク王)|シャルル2世(禿頭王)の2番目の妃。アルデンヌ伯ビヴィン・ド・ヴィエンヌ|ビヴィンの娘で、プロヴァンス王国|プロヴァンス王ボソ (プロヴァンス王)|ボソの妹。ロタリンギア王ロタール2世の王妃テウトベルガは母方の伯母にあたる。869年、シャルル禿頭王はすでに別居していた最初の妻エルマントルド・ドルレアンと死別すると、翌870年1月22日にアーヘン|エクス=ラ=シャペルにおいてリシルドと結婚した。この結婚にはシャルル禿頭王に政略上の利益をもたらした。689年に死去したロタール2世の未亡人テウトベルガの姪と結婚することで、掌握したロタリンギア王国の支配権をより強固にすることが出来たのである。リシルドは夫が戦争で不在の時は国政を担い、夫が877年に死去した時も一時的に国政を預かっている。継息子のルイ2世 (西フランク王)|ルイ2世が879年に若くして亡くなった際、その2人の息子たちが幼かったことから、リシルドは兄のボソを西フランク王に就けようと画策した。しかし貴族たちはこれに反発し、リシルドとボソの兄妹が近親相姦の関係だと主張して、前王妃リシルドの権威に服することを拒んだ。リシルドはその後、兄がプロヴァンス王となるのを支援した。義理の孫のルイ3世 (西フランク王)|ルイ3世(882年没)とカルロマン2世 (西フランク王)|カルロマン2世(884年没)の死後も、再び王国の実権を握ろうとしたため、プロヴァンスへ追放された。シャルル禿頭王との間に5人の子女をもうけたが、成人したのは娘1人だけだった。

過去の推移