画像引用元: upload.wikimedia.orgラモン・バランゲー4世
ラモン・バランゲー4世(カタルーニャ語:Ramon Berenguer IV el Sant 国際音声記号|IPA:[rəˈmom bəɾəŋˈge] ラモン・バランゲー、アラゴン語:Remón Berenguer IV o Santo レモン・ベレンゲール、1113年頃 - 1162年8月6日)は、バルセロナ伯、ジローナ伯、ウゾーナ伯、サルダーニャ伯(在位:1131年 - 1162年)。アラゴン王国|アラゴン女王ペトロニラ (アラゴン女王)|ペトロニラの王配。結婚後の1137年以降、アラゴンのプリンケプス(príncep d'Aragó)及びリバゴルサ伯も名乗った。カスティーリャ語ではラモン・ベレンゲール4世(Ramón Berenguer IV)バルセロナ伯ラモン・バランゲー3世とプロヴァンス伯|プロヴァンス女伯ドゥルサの長男として生まれ、1131年にバルセロナ伯を継承した。プロヴァンス伯は弟バランゲー・ラモンが継承した。また、姉妹の一人ベレンゲラ・デ・バルセロナ|バランゲーラはカスティーリャ王国|カスティーリャ王アルフォンソ7世 (カスティーリャ王)|アルフォンソ7世の王妃となった。1137年8月、わずか1歳のアラゴン王国|アラゴン王女ペトロニラ (アラゴン女王)|ペトロニラと婚約した。ペトロニラの父ラミロ2世 (アラゴン王)|ラミロ2世僧王は元々聖職者出身で俗世に未練がなく、妃との間に実子をもうけたので退位を望んでいたが、まだ幼いペトロニラが即位すればアラゴン王国が隣国カスティーリャ王国に狙われることは必至のため、バルセロナ伯領の加勢をもってアラゴンが侵略されないようにすることを考え、結婚という同盟関係樹立を急いだのだった。ラミロ2世は同年11月に退位し、ペトロニラと娘婿ラモン・バランゲーへ王国を託した。ラモン・バランゲーは実質的にアラゴンの統治者であったが、アラゴン王を自称せず、バルセロナ伯(Comte de Barcelona)、アラゴン公(Príncipe de Aragón)を名乗った。ペトロニラとの間の長男アルフォンソ2世 (アラゴン王)|アルフォンソ2世以後、アラゴン王及びバルセロナ伯と名乗るようになった。こうしてアラゴン連合王国が成立した。治世の中期、ラモン・バランゲーの関心はムーア人に対する遠征に向けられた。1147年10月、第2回十字軍の一部として、ラモンはアルメリアを征服するカスティー
