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ユーリー・ヤロスラヴィチ

推定知名度0.22%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

ユーリー・ヤロスラヴィチ(Юрий Ярославич、1112年以前 - 1168年頃)は、キエフ大公スヴャトポルク2世の孫、ヤロスラフ・スヴャトポルコヴィチの子にあたる人物である。ピンスク公:1142年頃 - 1148年、1154年 - 1157年。トゥーロフ公:1148年もしくは1149年 - 1150年、1151年 - 1154年、1157年 - 1168年。(トゥーロフ・ピンスク公:1157年 - 1167年以前。)1157年、キエフ大公ユーリー1世(ユーリー・ドルゴルーキー)が、トゥーロフ公位にあった自分の子のボリス(ru)に変えて、ユーリーにトゥーロフ公国を任せた。ユーリー1世はこの年のうちに死去し、翌年、新たなキエフ大公のイジャスラフ3世が、トゥーロフからユーリーを追い出そうと画策した。しかしこの試みは失敗に終わり、イジャスラフは策の再考を余儀なくされた。1160年、イジャスラフはムスチスラフと連携して、トゥーロフを包囲した。しかし都市を落とせず、今回もユーリーを放逐することはできなかった。1162年、ユーリーは次のキエフ大公となったロスチスラフ1世と講和を結んだ。年代記における、ユーリーに関する最後の記録は1167年の記述である。また、ユーリーは、トゥーロフ・ピンスク公家の祖となった。

過去の推移