画像引用元: upload.wikimedia.orgユーリー・ウラジミロヴィチ
推定知名度0.3%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女
ユーリー・ウラジミロヴィチ(Юрий Владимирович ? - 1176年1月19日)は歴代ムーロム公のうちの一人である(在位:1162年 - 1176年)。リャザン大公ウラジーミルの子。1162年(1161年という記録もある)に父のウラジーミルが死去した後、上位の公位であるリャザン公には従叔父のグレプが就き、その子孫が継いだ。一方、ユーリーらウラジーミルの子孫の統治のもとで、ムーロム公国はリャザン公国から分離した。ムーロムは、ウラジーミル・スズダリ公国の首都ウラジーミルに近接しており、ムーロム公もまた、ウラジーミル・スズダリ公と同盟して行動した。1164年、ユーリーはブルガル族に対する、ウラジーミル・スズダリ公国のの遠征軍に援軍を送った。また、1169年末にはノヴゴロド公ロマンに、1172年冬には再びブルガル族に、1173年にはキエフ公国のロスチスラフの子に対して軍勢を差し向けた。1174年にアンドレイが死ぬと、ウラジーミル大公国(アンドレイ以降、ウラジーミル・スズダリ公国の統治者は大公を称した)では権力闘争が勃発したが、この時はヤロポルク(ru)を支援し、ミハイルに対する遠征に参加した。ユーリーはその2年後の1176年に死去した。
過去の推移
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