メルセデス・ベンツ・T80の画像画像引用元: upload.wikimedia.org

メルセデス・ベンツ・T80

推定知名度0.59%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

T80は速度記録車である。自動車の世界最高速記録において、第一次世界大戦前にはベンツのブリッツェン号が211km/hを記録しやがて228km/hに伸ばすなどドイツにも見るべきものがあったが、1927年にヘンリー・シーグレイヴ( )がサンビーム (自動車)|サンビームで300km/hの限界を突破して以来ジョージ・イーストン( )、ジョン・コッブ( )、マルコム・キャンベルらイギリス勢に独占されていた。アドルフ・ヒトラーはドイツの舞台でドイツの車両により世界記録を樹立し国威発揚に役立てようと考えた。設計はフェルディナント・ポルシェが担当し、製作はダイムラー・ベンツに依嘱された。フェルディナント・ポルシェ自身は国家の威信などに興味はなかったが技術的な限界への関心からすでに設計を済ませていた。1937年7月23日初の協議が行なわれ、ダイムラー・ベンツはフェルディナント・ポルシェと顧問契約を結んだ。ダイムラー・ベンツの航空用V型12気筒エンジンダイムラー・ベンツ DB 601|DB601を排気量44,000ccに拡大したダイムラー・ベンツ DB 603|DB603を出力2,500PS以上、瞬間的には3,030PSを発揮するよう改良しミッドシップした六輪車で、後ろの四輪で駆動する。高速時の浮き上がりを防ぐためマイナス仰角を持つ翼様の水平フィンをボディー横に備えていた。車重は約2,800kg、全長約8.5mである。油圧式フットブレーキは六輪に働く。タイヤはコンチネンタル (自動車部品製造業)|コンチネンタルが700km/hに耐える7.00/32サイズの特殊タイヤを開発した。トランスミッションはなく、押すか引くかしてクラッチを繋ぐ方式を採っている。脱着可能なボディパネルは0.3-1.0mmしか厚みがないジュラルミン製である。ドイツ国内に世界最高速記録を出せるようなコースがなかったことから、フェルディナント・ポルシェは最初この車両をボンネビル・ソルトフラッツに持ち込むつもりであった。しかし記録テストの指導者であったアドルフ・ヒューンラインはこれを聞きつけて「ドイツの世界記録車はドイツ国内のコースを走らなければならない」と指示した。フェルディナント・ポルシェは「アウトバーンでも狭すぎる」旨説明したが、ヒューンラインは「すぐにそのようなコースを造る」旨返答しデッサウにセンターラインのない全長10,000m、幅18mのコンクリート製直線

過去の推移