画像引用元: upload.wikimedia.orgメアリ・コーンウォリス=ウェスト
メアリ・アデレード・ヴァージニア・トマシーナ・ユーパトリア・\"パッツィ\"・コーンウォリス=ウェスト(Mary Adelaide Virginia Thomasina Eupatoria \"Patsy\" Cornwallis-West、旧姓:フィッツパトリック (FitzPatrick)、1856年?/1858年? - 1920年7月21日)は、後のイギリスの君主|イギリス王エドワード7世 (イギリス王)|エドワード7世が、プリンス・オブ・ウェールズ(王太子)であった時期に関係があった愛人。コーンウォリス=ウェストは、アイルランド系の上流階級の家族の一員として、聖職者の父フレデリック師 (The Rev Frederick) と、の娘であった母オリヴィア・フィッツパトリック (Lady Olivia FitzPatrick) 間の娘として生まれた。母オリヴィアは、かつて(ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア女王の夫である)アルバート (ザクセン=コーブルク=ゴータ公子)|王配アルバートを誘惑しようとして失敗に終わっていたが、娘の方は16歳のときに王太子(後のエドワード7世)の愛人となった。ふたりの関係はやがて露見し、メアリは年齢が倍もあったと1872年に結婚した。メアリとウィリアム・コーンウォリス=ウェストの間には子どもが3人でき、1873年には娘デイジー・フォン・プレス|デイジー、翌1874年には息子ジョージ・コーンウォリス=ウェスト|ジョージ、最後に1878年には末娘が生まれた。メアリは王太子ヘの影響力を使って、子どもたちの縁談を手配したとされ、特に末娘が大富豪のと結婚した際には、大いに悪評が流れた。1915年には、の「ウェストミンスター公爵夫人病院 (the Duchess of Westminster's hospital)」に負傷兵として収容されていた、はるかに年下のパトリック・バレット (Patrick Barrett) と関係を持ち始めた。この兵士を昇進させようと彼女が動いた事は、スキャンダルとなった。1917年に夫に先立たれた彼女は、その3年後に死去した。
