ムスチスラフ・ウラジミロヴィチの画像画像引用元: ja.wikipedia.org

ムスチスラフ・ウラジミロヴィチ

推定知名度0.08%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

ムスチスラフ・ウラジミロヴィチ(Мстислав Владимирович、? - 1203年以降)は、キエフ大公ムスチスラフの末子のウラジーミルの子である。ドロゴブージ公:1171年 - 1173年、トリポリエ公:1173年 - 1183年以降、カネフ公:1194年 - 1203年。1171年、父のウラジーミルがキエフ大公位に就き、その父の所領であったドロゴブージの公位をムスチスラフが継いだ。その後、ドロゴブージの統治権がルーツク公ヤロスラフの元に統合され、ドロゴブージ公位がヤロスラフの子らに受け継がれるようになると、ムスチスラフはポロシエのトリポリエを受領した。1184年、キエフ大公スヴャトスラフ(ru)の指揮するポロヴェツ族への遠征軍に参加し、オレーリ川(ru)の戦いでコビャークを破った。ルーシの年代記(レートピシ)上における、以降のムスチスラフに関する記述は1194年のものであり、キエフ大公となったリューリク(ru)からポロシエの都市カネフを受領した、と記されている。このリューリクとロマンとの、キエフ大公位をめぐる闘争の一過程における、1203年のキエフ包囲戦(ru)においてムスチスラフは捕虜となり、スノフスク(現セドニウ)へ送られた。以降の消息、また、妻子・子孫に関する記録は残されていない。

過去の推移