ミハウ・ボイム(Michał Boym または Michael Boym、1612年? - 1659年8月22日)は、ポーランドのイエズス会士、中国学者。中国で布教したが、後に南明の永暦帝の使節としてローマに渡った。西洋人向けに中国の動植物・地理・医学に関する書物を書いたことで知られる。とくに『中国植物誌』(『シナの植物』とも。Flora sinensis)は、アタナシウス・キルヒャーの『中国図説』に材料を提供した。中国名は卜弥格()。
ミハウ・ボイム(Michał Boym または Michael Boym、1612年? - 1659年8月22日)は、ポーランドのイエズス会士、中国学者。中国で布教したが、後に南明の永暦帝の使節としてローマに渡った。西洋人向けに中国の動植物・地理・医学に関する書物を書いたことで知られる。とくに『中国植物誌』(『シナの植物』とも。Flora sinensis)は、アタナシウス・キル......