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マルティン1世

推定知名度0.83%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

マルティン1世(スペイン語|西:Martin I, 1356年7月29日 - 1410年5月31日)は、アラゴン王国|アラゴン王、バレンシア王国|バレンシア王、およびバルセロナ伯(在位:1396年 - 1410年)。カタルーニャ語名ではマルティー1世(Martí I)。また、晩年にシチリア王国|シチリア王位にもついた(マルティーノ2世(イタリア語|伊:Martino II)、在位:1409年 - 1410年)。アラゴン王ペドロ4世 (アラゴン王)|ペドロ4世と3番目の王妃レオノール・デ・シシリア(シチリア王ピエトロ2世 (シチリア王)|ピエトロ2世の娘)の次男。同名の息子に対して老マルティン(スペイン語|西:Martín el Viejo, イタリア語|伊:Martino il Vecchio)と呼ばれる。また人文主義者|ユマニスト王(西:el Humano, 伊:l'Umanista)と呼ばれる。1396年、兄フアン1世 (アラゴン王)|フアン1世が男子を残さずに死去すると、アラゴン王位を継承した。1373年に結婚した王妃マリア・デ・ルナとの間の息子マルティン(若マルティン)はシチリア王マルティーノ1世 (シチリア王)|マルティーノ1世となったが、1409年にマルティーノ1世が嗣子なしに死去すると、マルティーノ2世として息子の王位を継承した。翌1410年には自身も嗣子なしに死去し、後継者も定めていなかったため、マルティン1世の君主位の継承者が定まるまでには2年を要した。1412年にカスペの妥協で、アラゴン、バレンシア、カタルーニャ君主国|カタルーニャ、シチリアなどの君主位は、妹レオノール・デ・アラゴン (カスティーリャ王妃)|レオノールとカスティーリャ王国|カスティーリャ王フアン1世 (カスティーリャ王)|フアン1世の子であるフェルナンド1世 (アラゴン王)|フェルナンド1世が継承した。なお、死因については消化不良及び笑い死にとされる。

過去の推移