マルゲリータ・ヴィオランテ・ディ・サヴォイアの画像画像引用元: f.hatena.ne.jp

マルゲリータ・ヴィオランテ・ディ・サヴォイア

推定知名度0.06%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

マルゲリータ・ヴィオランテ・ディ・サヴォイア(Margherita Violante di Savoia, 1635年11月15日 ヴァレンティーノ城、トリノ - 1663年4月29日 公爵宮殿、コロルノ)は、イタリアのサヴォイア家の公女で、パルマ公国|パルマパルマ公の一覧|公ラヌッチョ2世・ファルネーゼ|ラヌッチョ2世の最初の妻。名はイオランダ・マルゲリータ・ディ・サヴォイア(Iolanda Margherita di Savoia)とも呼ばれる。サヴォイア公国|サヴォイアサヴォイア公|公ヴィットーリオ・アメデーオ1世とその妻でフランス王国|フランスフランス君主一覧|王アンリ4世 (フランス王)|アンリ4世の娘であるクリスティーヌ・ド・フランス|クリスティーヌの間の第5子、次女として生まれた。野心的な母はマルゲリータを甥のフランス王ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世に嫁がせようと画策したが、同時にスペインスペイン君主一覧|王フェリペ4世 (スペイン王)|フェリペ4世も娘のマリー・テレーズ・ドートリッシュ|マリア・テレサとルイ14世との縁組を望んでいた。ルイ14世とマルゲリータは1658年11月にリヨンでお見合いをし、見合いの場には王太后アンヌ・ドートリッシュ|アンヌ、王弟のフィリップ1世 (オルレアン公)|アンジュー公、王の従姉アンヌ・マリー・ルイーズ・ドルレアン|グランド・マドモワゼル(大姫君)、王の寵姫マリー・マンチーニらも同席していた。フランス王室の一行は、マルゲリータを美人だが日焼けしすぎていると評し、また無口な姫だと判断した。結局、フランス側はフランス・スペイン戦争 (1635年-1659年)|フランス・スペイン戦争の講和という実益を重視してマリア・テレサを王妃に選んだ。マルゲリータは1660年4月29日、パルマ公ラヌッチョ2世と結婚した。夫との間には2人の息子を産んだが、長男は死産児で、次男は生後3日目に死去した。そしてマルゲリータ自身も、次男の出産の2日後に亡くなった。遺骸はパルマのサンタ・マリア・デッラ・ステッカータ教会に安置された。夫は1663年にモデナ公国|モデナ公女イザベッラ・デステ (パルマ公妃)|イザベッラ・デステと再婚している。

過去の推移