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マルグリット・ド・フランス

推定知名度1.62%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

マルグリット・ド・フランス(Marguerite de France, 1158年 - 1197年)は、フランス王国|フランス王ルイ7世 (フランス王)|ルイ7世と2度目の妃コンスタンス・ド・カスティーユ(カスティーリャ王国|カスティーリャ王アルフォンソ7世 (カスティーリャ王)|アルフォンソ7世の娘)の娘。フィリップ2世 (フランス王)|フィリップ2世の異母姉に当たる。イングランド王国|イングランド王妃、のちハンガリー王国|ハンガリー王妃となった。英語名ではマーガレット・オブ・フランス(Margaret (Marguerite) of France)、ハンガリー語名ではマルギト(Margit)と呼ばれる。母コンスタンスが死去し、父ルイ7世がアデル・ド・シャンパーニュと3度目の結婚をした1160年、マルグリットはイングランド王国|イングランド王ヘンリー2世 (イングランド王)|ヘンリー2世の嗣子ヘンリー(若ヘンリー王|若ヘンリー)と結婚した。2人はかねてから婚約していたが、この年マルグリットは2歳、若ヘンリーは5歳であった。1177年、若ヘンリーとの間に長男ウィリアムが生まれたが、早産で3日後に亡くなった。1182年にウィリアム・マーシャル (初代ペンブルック伯)|ウィリアム・マーシャルとの不倫が噂されたが、これは若ヘンリーから絶大な信頼を得ていたマーシャルを妬んだ他の騎士の中傷によるものではないかという説がある。このことによりマーシャルは若ヘンリーの元を去らねばならなくなるが、翌1183年、若ヘンリーは死の床にマーシャルを呼び寄せ、自分の代わりに十字軍に参加するよう言い残して病死しており、いずれにせよ2人の間に不倫の事実はなかったと思われる。若ヘンリーの死から3年後の1186年、マルグリットはハンガリー王国|ハンガリー王ベーラ3世と再婚した。ベーラ3世との間には子は生まれず、1196年に2番目の夫とも死別、翌1197年に自身も死去した。なお、マルグリットの同母妹アデル・ド・フランス (ヴェクサン女伯)|アデル(アリス)は、若ヘンリーの弟リチャード1世 (イングランド王)|リチャード1世の婚約者であったが、ヘンリー2世が王妃アリエノール・ダキテーヌ|アリエノールを幽閉したのちにヘンリー2世の愛人になったとされ、リチャードの即位後に婚約を解消している。

過去の推移