マリア・ヨーゼファ・フォン・ザクセンの画像画像引用元: upload.wikimedia.org

マリア・ヨーゼファ・フォン・ザクセン

推定知名度0.89%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

マリア・ヨーゼファ・ルイーゼ・フィリッピーネ・エリーザベト・ピア・アンゲリカ・マルガレーテ・フォン・ザクセン(Maria Josepha Luise Philippine Elisabeth Pia Angelika Margarete von Sachsen, 1867年5月31日 - 1944年5月28日)は、オーストリア帝国|オーストリアオーストリア大公|大公オットー・フランツ・フォン・エスターライヒ|オットー・フランツの妃。最後のオーストリア=ハンガリー帝国|オーストリアオーストリア皇帝|皇帝カール1世 (オーストリア皇帝)|カール1世の母。ザクセン王国|ザクセンザクセン君主一覧|王ゲオルク (ザクセン王)|ゲオルクとその妃でポルトガル王国|ポルトガルポルトガル君主一覧|女王マリア2世 (ポルトガル女王)|マリア2世の娘であるマリア・アナ・デ・ブラガンサ|マリア・アンナの次女として生まれた。最後のザクセン王フリードリヒ・アウグスト3世 (ザクセン王)|フリードリヒ・アウグスト3世は兄である。1886年10月2日、フランツ・フェルディナント・フォン・エスターライヒ=エステ|フランツ・フェルディナント大公の弟で美男として知られたオットー・フランツと結婚した。マリア・ヨーゼファは非常に敬虔なカトリック教会|カトリック教徒で、名うての女たらしで『華やかな大公』とあだ名されたオットーとの結婚生活を全うできたのは、彼女の強い信仰心あってこそといわれていた。カール・フランツ(のちの皇帝カール1世)とマクシミリアン・オイゲン・フォン・エスターライヒ|マクシミリアン・オイゲンの2男をもうけ、子供たちを父親の悪い影響から避けるために腐心したという。夫が長年の不摂生がたたって亡くなったとき、大げさな悲嘆を見せない彼女は逆に賞賛された。第一次世界大戦中、マリア・ヨーゼファは急ごしらえで野戦病院に作り替えたウィーンのアウガーテン宮殿で傷病者の手当にあたった。1919年、カール1世と皇后ツィタ・フォン・ブルボン=パルマ|ツィタ一家らとともにオーストリアを離れ、亡命した。第二次世界大戦中の1944年、バイエルン州シュロス・ヴィルデンヴァートで死去した。遺体はウィーンのカプツィーナー納骨堂に、夫の隣に葬られた。

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