マリア・ホセファ・デ・ボルボンの画像画像引用元: upload.wikimedia.org

マリア・ホセファ・デ・ボルボン

推定知名度0.03%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

マリア・ホセファ・カルメラ・デ・ボルボン・イ・サホーニャ(María Josefa Carmela de Borbón y Sajonia, Infanta de España, 1744年7月6日 ガエータ - 1801年12月8日 マドリード)は、スペインの王女。カルロス3世 (スペイン王)|カルロス3世の娘、カルロス4世 (スペイン王)|カルロス4世の姉で、生涯独身を通した。カルロス3世(当時はナポリ・シチリア王)とその妻でポーランド王・ザクセン選帝侯アウグスト3世 (ポーランド王)|アウグスト3世の娘であるマリア・アマリア・フォン・ザクセン|マリア・アマーリアの間の第4子、四女として生まれた。名前は父方の祖母のザクセン選帝侯夫人マリア・ヨーゼファ・フォン・エスターライヒ (1699-1757)|マリア・ヨーゼファの洗礼名を受け継いでいる。父が統治していたナポリ王国の宮廷で生まれ育ち、1759年に父のスペイン王位継承に伴ってスペイン宮廷に移った。3人の姉たちは皆夭折したため、王家の第一王女であったが、縁談に恵まれず、1764年には妹マリア・ルドヴィカ・フォン・シュパーニエン|マリア・ルイサが彼女を追い越してトスカーナ大公レオポルト2世 (神聖ローマ皇帝)|レオポルトに嫁いだ。1768年、男やもめとなったフランス王ルイ15世 (フランス王)|ルイ15世の後妻となる縁談が持ち上がったが、結局実現しなかった。マリア・ホセファは父王の死後も弟カルロス4世の宮廷に残った。カルメル会に所属するマドリードの聖テレサ女子修道院に資金援助を行い、死後、同修道院に葬ってもらう約束を取り付けた。1877年、王女の遺骸は聖テレサ修道院からエル・エスコリアル修道院の王子廟に移された。

過去の推移